「セクシー田中さん」作者の方に哀悼の意を捧げると共に

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「セクシー田中さん」の作者の方が2024年1月29日亡くなっていることがわかったということです。

謹んでご冥福をお祈りします。

遺書も読んでおりませんので憶測ですが、Xへの書き込みからして、「セクシー田中さん」のドラマ化でテレビ局側とドラマの内容について揉めていたこと、脚本を2話分原作者の方が自ら書かなければならなかったこと等、ドラマ化に際してのトラブルがあり、そのことに起因する自己又は他人への追求等(誹謗中傷を含む)により気を病んでしまったのでしょうか。

憶測でものを言う気はありませんので、原因などについては口を慎みます。以下の論考は「なぜXに投稿されたいざこざが発生するのか」の点についての一意見です。当然、異論反論あると思います。

昨今、ジャニーズの問題、宝塚歌劇団、松本人志さん等々、週刊誌による記事に基づき特定の人を誹謗中傷する書き込みが横行しております。

議論は悪いことではないと思いますが、事実をなんら知らない第3者が、憶測で語るべきではないと思いますし、ましてや人を傷つける発言は傷害罪に該当するものだと思います。人間ですから、思わず言ってしまうことはあるかもしれませんが、指摘されたら謝罪して削除する姿勢は、最低限必要だと思います。

また、今回の事件が自殺であるか否か定かではありませんが、報道からすると自殺のようです。私は自殺を認めません。可哀想とも思いません。自殺は極めて利己主義的な自分勝手な行動です。自分さえ良ければいい人間のやることです。どれだけの人間に迷惑をかけるか、どれだけの人間が悲しむか、愛してくれる人たちをどれだけ地獄に落とすか、考えればわかることでしょうけど、それでも自分が可愛いから自殺するのです。

身内の恥を晒しますが、私の身内にも自殺した者が複数います。どれをとっても身勝手で許しがたいものです。

もちろん例外はあるでしょう。しかし、この原則を全面に押し出して、自殺した人への同情論で他者をを攻撃することは、裁判や示談交渉等の法律行為を除いて、やめるべきです。なぜなら、自殺した人に同情して、自殺者を養護し、一点の曇もない聖人君主のように崇めて、関係者を貶めるような行動は、つらいことから逃げるために自殺を選ぶ人にその理由を与えるだけで、自殺者を増やす手助けにほかならないからです(当事者、家族の方は別です。裁判などで争ってください)。

さて、本題からズレてしまいました。この事件をうけて私が言いたいのは、著作権、ひいては新しい知識を作るとはなにか、ということです。この点をしっかりと理解していれば、Xの書き込みのようなことはかなり軽減されると思います。ただ、Xの書き込みのようなトラブルは大学などの研究機関や一般企業でも起こることです。

著作権は、財産権としての側面はありますが、そもそも「人格権」です。この意味は、著作物を創作した人(著作者)は、その人の思想や感情を込めてその著作物を創作したのだから、その思想や感情を大事にしなければいけない、ということなのです。いわば、著作物は、著作者の分身なのです。

だからこそ、著作権においては「同一性保持権」というものが認められていて、たとえ誤字脱字であっても、著作者の承諾なく加筆訂正してはいけないということになっています。

著作権については特別人格にフォーカスしたものとなっていますが、特許法の保護対象の発明や意匠法の保護対象である意匠においても、発明者や創作者の分身のようなところがありますから、法律上発明者や創作者の権利を重視している(例えば職務発明の規定等)のです。

とかく経済活動が重視され、企業の論理で個人の創作物を軽くあしらう現場をこれまでも多々見てきました。会社の業務で出てきた著作物をなんでも職務著作にしようと考えていた企業等や、従業員の発明は全て原始取得にして塩漬けにすることも平気で行う企業等、創作者や発明者に対するリスペクトに欠ける企業政策を平気で取れるのです。経済性が重視されるからです。個人の人格権よりも。

私は、何でもかんでもハラスメントという言葉で片付けるのは間違っていると思います。明らかに犯罪行為であれば、ハラスメントではなく犯罪名で呼ぶべきです。ハラスメントは改善の努力が可能ですが、犯罪はきっちりと罪を償うべきです。しかし、このような創作者に対するリスペクトを欠く行為はまさにハラスメントではないでしょうか?

今回のテレビ局の対応がどうだったのか、当事者にしかわかりません。したがって、私はテレビ局のように憶測で視聴者の憶測を増幅させるようなことを言う、犯罪にも等しい行為を行うつもりはありません。

しかし、創作者が人生を削り取って創作物を作り上げていることをリスペクトする気持ちがあれば、言い方等々かなり変わると思います。ましてや民衆に問いかけるマスメディアであれば、人権意識がしっかりとなければならないでしょう。国民の知る権利に答えるということは、権力から人権を守るための手段を身につけることに他ならないのですから、著作者人格権を重視した番組を作れないテレビ局は、すでにマスメディアではなく、単なる利益追求集団にすぎないといえるのです。

この国が本当に人権意識を持った国民に構成されるようになりますように。

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